前回は「少女漫画的プロポーズからの新婚生活」を書きました。
今回は不妊治療について。
円満な新婚生活の中で1つだけうまくいかなかったこと。
それは・・・
不妊治療の開始
2年経っても、子どもができない。
欲しいのに、できない。
不妊治療を始めた。
タイミングから、人工授精、体外授精。
途中休む時間もありながら、2年半を費やした。
原因は不明のままだった。
スケジュールとにらめっこしながら、足繁く通う病院。
採卵の時期には自己注射もしていたけれど、時期によっては毎日通うこともあった。
卵胞の大きさなど、自分で制御できない、わからないことだからこそのストレス。
予約しても1時間待ち、下手したら2時間待ちがザラな長い待ち時間。
大嫌いだった注射や採血、診察のあの体勢。
最初は苦痛だったけど、そのうちに慣れて、何とも思わなくなった。
毎朝基礎体温をつけながら、一喜一憂する。
ホルモン剤を飲み、注射をすれば、身体にも影響が出る。
身体が重たかったり、お腹が痛かったり、注射痕にしこりが残ったり。
低温期、高温期それぞれに良いと言われる食べ物を意識的に食べる。
カフェインの入った飲み物や、お酒は我慢して飲まない。
睡眠不足にならないように、規則正しい生活をする。
とにかく体を冷やさないために、湯舟につかり、靴下を重ね履きし、上着を持ち歩く。
神社にお参りしたことも、おまじないのようなことをして、携帯の待ち受けを変えてみたこともあった。
そんな「ねば、ならない」に縛られながら、できることは何でもすると一生懸命な中、基礎体温がガクンと下がり、生理が来た時の表現できないほどの絶望感。
こんなにも努力して、莫大なお金も費やしているのに、全てが徒労に終わる虚しさ。
誰にもぶつけられない感情。
何の苦労もなく子どもを授かる(と私は感じていた)友達への言い知れぬショックと醜い嫉妬。
グチャグチャな心を隠したお祝いの言葉。
「私はまだ子供はいいかなって思ってたけど、できちゃったし、夫や親はすごい喜んでるからさ~」
という言葉には殺意を覚えた。
私の状況を知っていながら、この言葉を発したことが許せなくて、2度と連絡を取らなかった友達もいた。
私はここまでして、本当に子どもが欲しいのか、自分の気持ちすらわからなくなる。
夫は協力的で私を労わってくれていた。
けれど、気持ちがすれ違う。
私が欲しいと思った言葉は、言って欲しいと言っても、言ってくれなかった。
今は彼の言い分もわかるけど、当時は苦しくて、つらかった。
子どもが母親を選んで生まれてくるということ
私は、子どもが母親を選んで生まれてくるという言葉が大嫌いだった。
だって、選ばれない私は何なんだと。
そんな風に思ってるから、マイナスな気持ちでいるから、だから子どもを授からない?
そんなの関係ないよ!!
子どもがいる今では、子育てがしんどいお母さんが、私を選んで生まれてきてくれたのねと思うことで、少しでも楽になれる、子どもに優しくなれるなら、信じるのもいいとは思う。
実際、親の私に、子どもが教えてくれることはたくさんある。
それでも、子どもは母親を選んで生まれてくるには、同意、できない、したくない。
長期間に渡る不妊治療は、私の精神を不安定にした。
結婚と同時に正社員の仕事はやめていた。
当時、アルバイトや派遣をしていたが、仕事にも影響していた。
過去の私へのメッセージ
次は「一難去ってまた一難」へ続きます


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