私が生まれた家庭環境

私の過去の話

「人に歴史あり」ということで、私が生まれてから、今までについて書いてみたいと思います。
子どもが生まれてからのことを重点的に書きますが、私の親との関係性、結婚してから子どもが生まれるまでも、子どもが生まれてからの悩みへと繋がっていると感じたので、触れていこうと思います。

芙由子、誕生

私が長女として誕生したのは、1981年3月1日。

芙蓉(蓮)の花のように、清らかで美しく、自由な子に育って欲しいという願いを込められて、芙由子と名づけられた。

もう1つの名前の候補は「みさえ」だったようで、
この頃はまだ「クレヨンしんちゃん」は存在してなかったけれど、
危うくしんちゃんのお母さんと同じ名前になるところだった。

母が丸1日以上のひどい陣痛を乗り越えて、雪の降る朝、私は生まれた。

父は私立中高一貫校の数学教師、母は公立小学校の教師。
知人の紹介で結婚している。

母、仕事を辞める

母は私を妊娠・出産し、父には協力してもらえず、
祖母には当たり前のように仕事を辞めるよう圧力をかけられた。

保育園も見に行ったものの、良くない環境に私が可哀想だと思い、
結局仕事を辞めざるをえなかったそうだ。

その後も何度か復帰しようと試みたものの、叶わなかった。

私は、私が生まれたせいで母は仕事を辞めたのだ、ずっとそう思っていた。

今なら、私を可哀想だと思い、仕事を辞めたのは母の選択で、私が責任を感じる必要などないと言えるけれど。

母と祖母の不和

母は祖母との折り合いは悪く(と言っても、母が一方的に我慢していた)
結婚後も離婚を考えていたようだが、私ができたことで踏みとどまったらしい。

わかっていたら、父と結婚しなかった。
でももし父と結婚しなかったら、あなたたちが生まれてこなかったね。
何度か言われた言葉。

そうか、私がいなかったら、母は自由に生きられたんだ。
母は私達家族のために、自分の人生を犠牲にしてるんだ。
私はそう解釈した。

私達が生まれたから、父と結婚したことも悪くなかった
というようにも、今なら捉えられるけれど。

完璧だった母

家事なんて大嫌いだと言いながら、主婦として、完璧以上に家事をこなす母。

いつも家はピカピカで、品数の多い美味しい手作りの料理、
おやつには手作りのお菓子、洗濯も裁縫もばっちり。
父も私達も、洋服は全て選ばれ、準備されていた。
何がどこにあるのか、母以外は全く知らないまま。

私は実家にいる間、
自分の部屋の掃除も、片づけも、料理も、洗濯も
家事の何もかもを1度もやらなかった。
そして、それが「普通」だと思ってた。

母曰く、
できないなんてない、やらないだけでしょ?
私だってやりたくないけど、やってるもの。
そんなの我慢や努力が足りないだけ。

そして、それを体現していた。
この意見に、家事が嫌いな私は、結婚してから苦しんだこともあった。

次は「過保護のカホ子」へ続きます

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藤畑 ふゆこ
藤畑 ふゆこ
神奈川県横浜市在住。 夫、息子(小学1年生)の3人家族。 息子が幼稚園入園前に 「思い通りにいかない子育て」に苦しんでいたところ、 35歳で「プレシャス・マミー」に出会い、子育てコーチングの実践を始めました。 その結果、自分自身も親子関係も大きく変化。 感じ方も、考え方も、行動も、自分で選べることが幸せ。 葛藤を抱える女性のためにコーチングセッションを提供しています。 詳しいプロフィールはこちらから
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